金融教育と義務教育は親の義務

大人です。

子供の義務ではありません。

法律で、大人は子供に最低9年の教育を受けさせる義務を負わせているのです。

なので、勉強したくない、学校に行きたくないと思っている子供にとっては、義務教育は社会ぐるみのおせっかいです。

これは昔、教育を十分に受けられる人と受けられない人がいたので、不平等を小さくするようにしたものです。

法律で最低限の教育を、国民全員に受けることができるよう、先祖たちが整備し、我々の世代のために獲得した権利です。

その弊害として、もともと教育を受けることに興味がない人たちも巻き込まれています。また、現行の教育を提供する社会システムに適合しない人達が存在しうるため、これもまた弊害を生んでいます。

医療保障を受けたくないと言う人はいなくても、強制的に学校に行かされてまで教育を受けたくないという人はいるでしょう。

このような歴史を顧みると、教育を受けられることや学校へ行くことはとっても恵まれたことなのかと、ほとんどの人が認識しますが、必ずしも全員がそうではありません。教育を受けることに価値を見出さない人や、学校に行きたくない人も必ず存在するはずです。この意見は少数派でありますが、様々な理由で存在します。現在ではこのような少数派意見は、はっきりいって潰されている状態です。

義務教育は日本だけでなく、先進国中心に世界中で普及しています。それだけ社会に受け入れられているいい制度です。そして、教育を受けられない国や地域はまだまだありますよね。

日本も各国と同じように、国民全員に平等な教育を提供しようとすると、画一的な教育内容になります。そうしなければ差別だ、不公平だなどとなってしまうからです。

それが、今の多様性の時代に変革が求められています。

つまり、教育を受けられる環境はすでに当たり前にある。おせっかいなほど、画一的な教育を社会は押し付けてくる時代になった。

一方で、学びたい意思、学びたい内容、学ぶスピードなど、本当は人間固有のものであり、同じことはありません。

教育は今や供給過多にあり、一人ひとりが求める学びは、本質的には多様であることが認知されつつあります。

この多様な需要に答えるのは、国レベルの制度では解決できないでしょう。幸いにも教育に関してのビジネスが多数出揃ってきました。そして、学校に行きたくないのであれば、無理に行かせる必要はないです。みんなと違う状態であることは、不安をあおると思いますが、人生で一生みんなと同じということはなくなっていくので、その経験を若いうちからしているだけ。10代ではまだ心が成長過程なとき、親御さんが支えてあげるべきでしょう。迷いながらも2~3年で自己発見し、自立していきます。これは、学校に行こうが行くまいが関係ありません。人間に備わっている特性です。

 

もう一つの問題提起として、時代の変化が速くなり、10~20年前に重要だった教育コンテンツが、今や無価値だったり時代錯誤だったりといったこともあります。

これは制度改正で解決できます。しかし、国レベルの制度改正は慎重になってしまいます。多数の意見を聞き入れていかなければならないからです。よって、理論上、教育制度・要綱を改正することはできても、おそらく時代のスピードについていけないでしょう。

政治家や教育のプロフェッショナル達が、日々試行錯誤し、議論を重ねています。しかし、このようなシステム上の弱みは、誰が解決できるという話ではありません。我々国民が、彼らの提供するシステムに依存することをやめ、独自で自分に合った教育を探したり、作ったりすることも一つの選択肢です。

 

「私はそれは学校でならっていません。」

社会人になってこのようなことを思うことはないでしょうか?私はよく考えていました。しかし、それは間違いでした。

義務教育は、社会にでてからの言い訳にすることはナンセンスです。

義務教育は、大人が子供に教えなくてはならない、最低限の知識と教養です。

それ以下だと法律違反になってしまうのですから。

子供はそれを鵜呑みにしていると、義務教育から離れた世界を見ることができません。

例えば、人間関係を良くするコツ、税金の事、選択科目で選択しなかった科目については、大人は子供に教える義務はないのです。高校・大学で学ぶことのほとんどは世の中で役に立つ事ばかりにもかかわらず。

本当は、自分で学びたいことが自分で学ぶことは一番のはず。誰からも押し付けられず、好きに学べるのだから。そのために図書館に行ってもいい、周りの大人に聞いてもいい、学校の先生に聞いてもいい、友達に意見を聞いてもいいわけです。義務教育以外は、ただ立ってても教えてもらえることはありません。

子供が主体性を失い、足りない知識について義務教育を言い訳にすることは、楽しく有意義に生きる力を損ねています。

それに気づけば、自分の足で立つ事を覚えるでしょう。