【資本主義を超越】ボランティアの意義とは

 

なぜ収入にもならないのにボランティアで活動するのか?または寄付をしたりするのか?

偽善ではないのか?ただの自己満足なのでは?意味なんて本当はないんじゃないか?ボランティア活動の意義を見出だせない人は意外と多いのではないでしょうか?

ボランティア活動に意義はある。違和感が残るその正体は、本能とのギャップである。


資本主義では、金の巡りが起こる仕組みを作って事業化することで、社会問題を解決し、経済成長する。ボランティアは社会貢献である。


社会貢献は他社貢献であり、人間の自己実現欲求にプログラムされた本能である。


資本主義でも社会主義の要素を取り入れた国家でも解決できない問題がある。


資本主義、社会主義の思想では、効率的かつ弾性的に解決できない。貧困問題、災害復旧など。


ボランティア活動や寄付金は、そういった問題に対して、効率的かつ俊敏に解決できる。そして人間の本能に逆らわない行動である。ゆえに持続性を持つ。

資本主義は世の中のほとんどの問題を効果的に解決することを我々は知っている。

経済成長をとおして、我々は長期的に発展し続けてきたのだから。経済の仕組みを利用すると、様々なことが効率化し、互いに恩恵を受ける結果となる。社会にとっても、一人ひとりにとっても、とても良い仕組みだ。


だからボランティア活動や寄付金に対して違和感を覚える。それらが資本主義の思想に反しているから。

しかし、資本主義は人類の欲求を満たす組織的な繁栄のための手段の一つに過ぎない。資本主義は全てを解決しない。

ボランティア活動や寄付金はそのギャップを埋める手段として、資本主義の外側に位置する。全てを国家のような中央集権的に解決する社会主義とも異なる存在である。

資本主義経済の中に生きていると、何か違う、おかしいと思うことがあるだろう。
同じようにボランティア活動や寄付をしていても、これだけで本当の幸せは勝ち取れない、といった葛藤を伴うこともあるだろう。


その正体は我々の本能とのギャップなのだ。

資本主義経済も、ボランティア活動や寄付といった社会奉仕活動も、我々の本能の幸せ感や充実感を満たすシステムとしては不完全なのだ。

資本主義経済、国家による社会保障制度、個々による社会奉仕活動が相互に補完し合い、我々人間の本能が求めている社会を築くソリューションが実現されるのだ。

まとめ


ボランティア活動や寄付は、資本主義が効率的に解決できない社会問題に対しての有効な手段として、我々の幸せを追求できる行動選択として意義がある。